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天才、再び

2006.01.30 Monday
有限と微小のパン―THE PERFECT OUTSIDER
有限と微小のパン - THE PERFECT OUTSIDER - / 森 博嗣
(ネタバレを含む可能性があります。ご注意ください)
とにかく、ものすごいボリュームだ。シリーズ最長の860ページという長さは、つまり最後の語るにはこれだけの量がなければ完結しえなかったということでもある。物語の焦点は当然、犀川助教授と真賀田四季の再会にあった。

クライテリオンの謎から始まる本作。僕はその解答に行き着くことは残念ながらできなかったが。ところどころに真賀田博士の存在がピックアップされていることは容易に読み取れた。しかし、終盤の物語を読むうち、それがどうも不可解に感じるようになってきた。

真賀田博士の存在がピックアップされているということは、真賀田博士がその存在をアピールしているということだ。対象はいうまでもなく犀川助教授だが、これは真賀田博士が犀川助教授に会いたがっている、その欲求を示している。欲求とは、何かを欲し求めること。求めるのは、それが自らに備わっていないから。備わっていないことは、つまり欠陥である。

ところが、真賀田博士は「パートナが必要なのは、自分に欠陥があるからです」と言って、自らへのパートなの不必要性を語っている。真賀田博士は、自らに欠陥がないことを語っているのだ。

欠陥がないことを天才とするならば。

真賀田四季は、いつ、天才たり得なくなったのか。

犀川助教授は、真賀田博士から何を奪ったのか。

真賀田博士は、犀川助教授に何を見出したのか。



S&Mシリーズ全10作を全て読了したわけだが、この半年間でいろいろと感じたことがある。

たとえば、成長する、ということの意味。

たとえば、人の起こす行動の意味、理由。

たとえば、進歩と退化のパラドックス。

しかしもっとも大きなものは、「死ぬ」ことの重さと軽さだ。

ミステリ小説においては、人の死が日常茶飯事として描かれるようだ。10作で亡くなった人は30人を越えるだろう。これは相当な数だ。物語の時間進行はわずか3年半。そのあいだに、自分に関係する人が30人も亡くなったらどうだろう。

人は、こんなにも簡単に死ぬのだ。さまざまな思惑が絡み合い、人は死ぬ。殺される。それが日常。

けれど、そこに至るにはいろいろな葛藤があるのだろう。それに、人が死ぬことで、周りに与える影響も小さくはない。悲しむ人もいる。喜ぶ人もいる。性格が変わってしまう人もいる。人の死によって出会う人々もいる。世の中にそれだけの影響を与えるのだ。

ミステリ小説をあまり読んだことがない僕にとって、その入り口が森博嗣さんの作品であったことは、類まれなる幸運と言っていいだろう。1年早くこれを読んでいたら、社会に対する見方は大きく変わっていたと思う。1年前の変化は、そのまま将来に直結したはずで、それは大きく悔やまれるところだ。
| at 23:30 | PermaLink | | comments(2) | trackbacks(0) |
コメント
お疲れ様でした。
ばぐちゃんの作品に対するコメント(感想)はとても興味深いので楽しみなんです。

私も10巻すべて読んでみて、いろんなことを思いました。考えて考えて、それでも明確な答えなんて出ない。また、言葉に還元しようとするとそれは失敗してしまう。
真実と虚。
生きることと死ぬこと。
森作品は深いですね。
次は何を読もうか悩んでます。Vシリーズに行くべきなんでしょうけど、四季・春を買ってしまった私です(笑)
  • コウ
  • 2006/02/01 11:44 AM
毎度お読みいただいているようで、恐縮です。

この作品は、とりわけVR(仮想現実)に焦点を当てている部分が多く、それが真賀田博士と犀川助教授の対比につながっているように思えました。

答えを出すことと、それを言葉で説明することは、同義でなくても良いということを学びました。記号化はすなわち単純化。大人は子供に単純化を促しているのですね。それが僕の考える「進歩と退化のパラドックス」でした。
  • bugchan@auther
  • 2006/02/01 12:01 PM
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